「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のあらすじ、解説と考察です。映画は1988年(昭和63年)に公開されました。
項目 | 内容 |
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公開 | 1988年3月12日(土) |
監督・脚本 | 富野由悠季 |
長さ | 120分 |
あらすじ
宇宙世紀0093年、ネオ・ジオンの総帥シャア・アズナブルは地球連邦政府を粛清するため、小惑星5thルナ(フィフス・ルナ)を地球へと落下させる。その後、一度は、地球政府と停戦条約を結んだネオ・ジオンだったが、停戦に油断した地球連邦軍の隙をついて、次の作戦を開始する。それは、地球政府から買い取った小惑星アクシズを地球へ落下させるという作戦だった。
アムロ・レイらが所属する地球軍;通称ロンド・ベルはシャアの作戦を阻止するため、アクシズの破壊を試みる。ネオ・ジオン軍はロンド・ベルの核ミサイルを撃ち落としアクシズを死守するが、艦隊ラー・カイラムにアクシズへと取りつかれ、アクシズを内部から爆破される。ほぼ真っ二つに割れたアクシズはどちらも地球から離れるはずだったが、割れた片方が地球へ落下する。アムロ・レイは落下を阻止するため、ガンダム一機でアクシズを押し返そうとする。そこへ、敵味方関係なく人々が集まる。思いは共振し、それが力となって、アクシズを地球から遠ざけるのだった。
登場人物
主要登場人物をまとめます。
名前 | 説明 |
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アムロ・レイ | ロンド・ベル隊のエースパイロットで階級は大尉 アクシズ落下を阻止し行方不明となる |
シャア・アズナブル | ネオ・ジオン軍の総帥で大佐 アクシズ落下に巻き込まれ行方不明となる |
ブライト・ノア | ロンド・ベル隊の旗艦の艦長で大佐 アクシズ落下を阻止しようとする |
ハサウェイ・ノア | ブライト・ノアの息子 チェーン・アギを撃破し戦死させる |
クェス・パラヤ | 連邦政府高官の娘 ネオ・ジオン軍として戦うがチェーン・アギに撃破され戦死 |
チェーン・アギ | 連邦軍の技術士官でアムロの恋人 クェス機を撃墜し、その直後、ハサウェイに撃墜される |
ナナイ・ミゲル | ネオ・ジオンのニュータイプ研究所所長 シャアの恋人のような存在であり軍の参謀でもある |
解説
アムロとシャアの対決が描かれていました。シャアは、アムロがララァ・スン(シャアにとって母のような存在)を戦死させたため、ひどく恨んでいました。シャアが戦争を起こした真の理由というのも、打倒アムロであり、その背景には母の存在があったといえます。
ラストシーンでアクシズを地球から遠ざけたあの光は、人にそなわった助け合いの精神を具現化したもので、この精神を増幅させたのがサイコフレームでした。
考察
仮に、シャアがスペースノイド(宇宙に住む人々)の優位性を主張し、アースノイド(地球に住む人々)を死滅させようとしたのであれば、アクシズの落下は自分達よりも劣る人種、つまりアースノイドを虐殺するような作戦であったように思います。しかし、シャアがそういった思想を掲げている、あるいは、掲げていたたという描写はなく、また、シャアが独裁者のように振舞っていた様子もありません。
シャアはアムロと闘いたいだけだったようなので(独裁者よりも迷惑な存在だったと言えるのかもしれませんが)、スペースノイドこそが支配階級にあるべき存在だという主義主張は、それほど濃厚ではなかったと思います。
それにしても、女を殺されたから地球に隕石を落とすというのは、とても困った人です。地球を守りたいなら、ぶっ壊してどうするよ、と思ったりもします。シャアは信長のように「鳴かぬなら殺してしまえ」タイプなのかもしれません。
支配
アムロと決着をつけたかったシャアは、地球政府の難民政策を端に発したスペースノイドの憤りを利用し、軍隊の準備を進めていたようです。ネオ・ジオン再興も、おそらく、それをマニフェストとすることで、スペースノイドからの支持を深めようとしていたのだと思います。「まるで道化だよ」というシャアのセリフにはそういった意味が込められていたとも解釈できそうです。
そんなシャア総帥の本音がどうであれ、スペースノイドが地球支配からの解放を望んでいたのは間違いないでしょう。その支配は決して緩やかではなさそうです。特に、難民を適当なコロニーに押し入れて済ますという横暴なやり方から、地球側こそ独裁者であると思えます。
弱い立場の人々(スペースノイド)のために戦うのがシャアであるならば、権力を持つ人間の手下になっているのがアムロ、つまり「愚民どもにその才能を利用されている者」です。
こういった弱者と強者の対立構造は戦争に巻き込まれた人々の認識であって、一般市民である彼らが、シャアの真意などを知ることは、きっと、ないのだと思います。
絶望と希望
シャアの真意というのが打倒アムロだけなら、よそでやれよ、と忠告するだけなのですが、シャアとアムロには弱者vs強者だけではなく、人類に絶望しているか、それとも、人類に希望を抱いているかという対立関係もあったと思います。
「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」というアムロの発言に対し、シャアは「ならば、愚民ども全てに英知を授けてみせよ」と返しており、こういったやり取りに、二人の立場が明確に表れています。
数々の争いを目の当たりにしてシャアは人類がどうしようもないゴミであるという結論に達し、そしてアクシズを地球へ落とそうとしました。人類を滅ぼさんとするのなら、スペースノイドも皆殺しにするのが筋ですが、まずは弱者と強者という対立関係を利用してアースノイドを死滅させようとしたのかもしれません。ネオ・ジオンは地球政府に対してコロニー潰しを交渉材料にしており、この点からスペースノイドの殺戮もいとわないような立場がうかがい知れます。なお、シャアのアースノイドが地球を汚染しているという主張はアースノイドだけを死に至らしめるために掲げた大義名分のように思えます。
支配者・権力者の犬にみえたアムロですが、人類を信じているという点においてはヒーローです。そして、弱者の立場を利用して人類を滅ぼそうとするシャアとそれを阻止するアムロの決戦は、最終的に、アムロの勝利で終わります。
ラストシーン
地球は隕石落下という危機を迎えました。寸前まで、遠くで見物していた地球軍も、この危機に瀕して隕石を押し返そうとしました。そこに敵であるネオ・ジオンも加わり、敵味方関係なく、隕石を押し返そうとします。相互扶助や助け合いというと陳腐ですが、それが、このシーンに現れていました。殺し合っていた人々が危機を目の前にして手を取り合ったというのは、当事者からすれば、何故かわからないけど勝手に体が動いた、みたいなことだと思います。
「やめてくれ、こんなことに付き合う必要はない」とアムロも言っており、無謀な行為に違いないはずですが、それでも何かに突き動かされて隕石を食い止めようとしたわけです。この何かがサイコフレームによって増幅され、それは光となり、隕石を地球から遠ざけました。人類がみたその光は、つまり、人類はどんな困難であっても乗り越えることができるという希望の光でした。
「そうか、しかしこの温かさを持った人間が地球さえ破壊するんだ」とシャアは、サイコフレームによって増幅されたその何か…人々を突き動かした何かを目撃しても、人はゴミであるという考えを改めませんでした。そして最後、シャアはララァ・スンを奪ったアムロに恨み言を言い放ちます。
「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」というシャアの言葉がおそらく本音であって、ネオ・ジオン再興などはもちろん建前で、打倒アムロという言葉の裏にも、ララァを奪ったアムロに復讐したいという真の動機が隠されていました。
メビウスの宇宙を越えて
主題歌「BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)」は逆シャアのテーマを表現しているように思います。メビウスの輪というのは、表裏が決められないリング状の形のことです。歌詞の“メビウスの輪から抜け出せなくていくつもの罪を繰り返す”にあるメビウスの輪は、スペースノイドとアースノイドの対立においてアムロは悪者であるし、しかし、人類を信じる立場としては正義の味方にみえるということであり、つまり、正義とは何か、みたいなことを表しているのだと思います。
どっちが表か(正しいか)を言えない状況で、同じことを繰り返しているのが、ガンダムシリーズであり黒歴史といえます。そんなメビウスの輪から抜け出すために、人類を皆殺しにするというのは一つの具体的な方法です。